桃の節句の由来です。
雛祭り(ひなまつり)は女の子の成長を祈る日本の伝統行事です。
明治6年の改暦前では天保暦(旧暦)の3月3日の桃の節句に行われていましたが、
現在はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なわれています。
旧暦の3月3日は現在の4月3日です。
桃の花は4月上旬に咲きますので、季節的には4月3日が合うようです。
男雛と女雛を中心とする雛人形を飾り、桃の花を飾って、白酒を飲みます。
生まれた女の子が健康に成長し、幸せに結婚できるようにと祈ります。
「うれしいひな祭り」
サトウハチロー作詞・河村光陽作曲
◆あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(ふえたいこ)
今日はたのしい ひな祭り
◆お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔(がお)
お嫁(よめ)にいらした 姉(ねえ)様に
よく似(に)た官女(かんじょ)の 白い顔
◆金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒(しろざけ) めされたか
あかいお顔の 右大臣(うだいじん)
◆着物をきかえて 帯(おび)しめて
今日はわたしも はれ姿(すがた)
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
雛人形の起源
雛人形の起源のひとつは、中国の流し雛(代わり雛)に
あると言われています。
流し雛にその年の災いや、けがれを移し、本人の代わりに川に流す風習で、これが江戸時代に
女の子の人形遊びなどと結びついて、女の子の幸せを祈る場に飾られるようになりました。
雛人形5段飾り
雛人形は、宮中の貴族の格好をしています。
男雛、女雛の二人だけでなく、
右大臣と左大臣や、三人の侍女(三人官女)、
お囃子を奏でる五人の男の子(五人囃子)、
さらにはお囃子に使う楽器や、
家財道具と牛車などの嫁入り道具を一緒に飾ることもあります。
3月3日が過ぎた後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという俗説があります。
この日に食べられるものに菱餅、雛あられや、飲まれるものとして白酒があります。
雛人形、内裏雛の左右
内裏⇒だいり、天皇の住居。
本来「内裏雛」は雛人形のうち男雛と女雛の対を指しますが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」
と呼ぶ誤用は一般化しています。
内裏雛は内裏の宮中の並び方を模しています。
中国の唐や日本では、昔は左が上位でした。
左大臣(雛では髭のある年取った方)が一番の上位で天皇から見ての左側(私たちから見て右側)にいます。
明治天皇までは左が高位という伝統で皇后の左側に立ちました。
ところが明治の文明開化で日本も洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋式
に皇后の右側に立ちました。
それが皇室の伝統になり、それを真似て東京では男雛を右(向かって左)に置く家が多くなりました。
ところが京都では伝統を重んじて向かって右に置く家が多いようです。
社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを現代式、
右に置くのを古式としどちらでも良いとしています。
イラストの雛人形は、現代式の飾り方です。
毛利家の雛人形
私は毎年、3月3日頃まで1週間、毛利邸で個展をしていましたが、博物館ではこの時期、 毛利家所蔵の雛人形を展示しています。
期間は2月5日~4月9日、詳しくは毛利家博物館のページをご覧下さい。
「毛利家博物館」のページもご覧下さい。
雛人形を飾る時期
お雛さまの飾る時期は1月の松が明けてからとか、立春(二月四日)頃から三月中旬にかけてと言うのが
多いようです。
かたづけるのもなるべく早めにします。季節の節目を祝うのも節句の意味です。
雛祭りがすぎると飾る意義も薄れますので遅くとも三月中旬までにかたづけましょう。
旧暦でお祝いをされる方は4月3日頃まで飾られると良いでしょう。
毛利家の雛人形は4月9日まで飾ってあります。
桃の花は4月上旬頃に咲きますので、季節感は旧暦のほうがあっています。
雛人形は、女の子の厄払いのために飾る物なので、
女の子が生まれたらその子だけの為の雛人形を用意してあげましょう。
次は 珠 雛人形 です。